大宇(伊達農園)のポリシー
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田村地区(有田)みかんの歴史
●栽培起源
室町時代初期、有田みかんの素といわれる自生の木があったといわれますが、室町時代後期、伊藤孫右衛門が、肥後八代から蜜柑の苗木を持ち帰り栽培が始まったともいわれています。本格的に栽培が有田地方で広く行われたのは、江戸時代初期からです。

●出荷の歴史
大阪、堺、伏見への出荷が始まったのは安土・桃山時代といわれています。その後江戸時代になると、江戸への出荷も始まります。江戸時代中期には、みかんの出荷販売組織が次々とできていったそうです。紀伊国屋文左衛門が嵐をついて江戸に蜜柑を送った話は有名です。

●品種の歴史
有田地方で温州みかんの栽培が始まったのは江戸時代後期になってからです。有田地方は、全国で最も早く温州みかんのハウス栽培を手がけました(昭和40年代)。品種も拡大し、現在も日本有数のみかん栽培地となっています。
【田村の三宝柑の歴史】
江戸時代、文政年間(1818〜1829)に偶然的に和歌山城内で発生したものです。非常に珍しかったので、藩主徳川治宝に重宝がられて門外不出とされました。そして、例年神前などへのお供え用の器である「三方」に載せて城主に献上したことから「三宝」という名前になりました。
明治年間になり、門外不出の掟が破られ民間でも栽培されるようになりました。田村の地域は、冬も温暖な気候で栽培の適地として、芳香、美味の三宝柑が産出されています。
春麗の三月桃の節句には、おめでたいネーミングの「三宝柑」をお雛様にお供えして、子供の健やかな成長を喜ぶ慣わしが今でも残っています。

▲みかんのことが勉強できる「有田みかん資料館」へもぜひ行ってみてください。

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